概要
2024年12月3日22時27分、韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が「国会議員全員を反国家勢力と断定し、自由民主主義を守る」という名目で非常戒厳令を発動しました。この出来事は韓国の民主主義の歴史において、かつてないほどの緊迫した瞬間として記憶されることになりました。
戒厳令が発令された直後、韓国軍の第1空輸特戦旅団などの部隊が動員され、国会議事堂を攻撃。この行動は「違法なクーデター」として批判される一方、戒厳令はわずか6時間弱という短期間で解除される結果となりました。
戒厳令の経緯と解除の流れ
- 発令と混乱の始まり
発令後、国会は一時的に閉鎖されましたが、警察や議会警備員、議員たちの抵抗により、軍は議場を完全に占拠することができませんでした。一方で、議会では民主党を中心とする190名の議員が集結し、非常事態解除の決議案を提出しました。 - 戒厳令解除決議案の可決
翌12月4日午前1時1分、国会で非常戒厳令解除要求決議案が全会一致で可決されました。この決定により、尹大統領は解除を余儀なくされ、最終的に戒厳令は行政的にも解消されました。 - 短期間での終了
戒厳令は12月4日午前5時、国務会議で正式に解消されましたが、非常事態が終了するまでの間に、韓国国内外で緊張感が高まりました。
背景と政治的影響
戒厳令の発動は「自由民主主義を守る」という目的を掲げていましたが、与党内部でも賛否が分かれる結果となりました。特に、国民の反発や野党の抵抗により、戒厳令の正当性に疑問が投げかけられました。戒厳令が発動された理由が曖昧であったことから、「政治的自殺行為」との声も上がりました。
また、議会の迅速な対応や国民の抗議が大きな役割を果たしたと言えるでしょう。国会議員たちが団結し、法律を最大限活用することで、戒厳令解除を実現しました。
戒厳令解除の流れ
今韓国憲法第77条に基づく戒厳令解除の法的手続き
憲法と戒厳令解除の仕組み
韓国憲法第77条第5項には、国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳令の解除を要求した場合、大統領はこれを解除しなければならないと明記されています。また、戒厳法第11条では、国会が戒厳令の解除を要求した場合、大統領は遅滞なくこれを解除し、公表しなければならないとされています。
国会での戒厳令解除要求
2024年12月4日未明、国会は在籍議員300人のうち、出席議員190人全員の賛成で戒厳令解除要求を決議しました。この決議は韓国憲政史上初めての出来事であり、戒厳令を解除するための明確な法的基盤となりました。
大統領の対応と戒厳令解除
国会の解除要求決議が成立した後も、大統領は戒厳令解除を遅延させる姿勢を見せましたが、戒厳令解除要求を拒否することは憲法違反となり、最悪の場合「内乱罪」や「大統領弾劾」の対象となることが指摘されました。
その後、大統領は国民への声明を発表し、国務会議での議決を経て、同日早朝5時3分に戒厳令を正式に解除しました。この解除により、戒厳軍は完全撤退し、戒厳体制は終息しました。
戒厳令発令中の混乱
戒厳令発令後、国会や政治活動は一時制限され、国会議員でさえ議事堂への立ち入りを阻まれる事態も発生しました。一部の議員は物理的な制約を乗り越え、国会に駆けつけるなど、緊迫した状況が続きました。
法的問題と論争
戒厳令が「自由民主主義の保護」を名目に発令されたものの、その正当性については疑問視されています。特に、憲法が規定する戒厳令の要件や通知義務を守らず、大統領が独断で国会を攻撃した行動は、法的にも政治的にも大きな問題を残しました。
韓国戒厳令解除における国務会議の審議と法的課題
戒厳令の問題点と違法性
今回の戒厳令は、憲法や法律に照らして重大な違法性があるとされています。主な問題点は以下の通りです:
- 戒厳令発動の違法性
- 戒厳令は「戦争またはこれに準じる事態」が条件ですが、今回の発動にはその正当性がなく、法律に反しています。
- 発令直後、国会活動を禁じる命令が出され、軍が議事堂に介入しようとしたことは憲政秩序の重大な侵害とされています。
- 通知義務の不履行
- 憲法第77条第4項では、戒厳令発動後に大統領が直ちに国会へ通知する義務がありますが、これは守られていませんでした。
- 国会議員への妨害
- 戒厳令解除要求決議案を上程しようとした国会議員に対し、軍や警察が議事堂への進入を妨害する行為が確認されています。
政治的および法的影響
この一連の行動は、三権分立の原則や民主主義の基本に対する挑戦とみなされ、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が弾劾に直面する可能性が高いとされています。
- 弾劾の可能性
憲法違反が明らかな場合、国会は大統領を弾劾することができます。今回の戒厳令発動とそれに伴う一連の行動は、弾劾の理由として十分に成立すると見られています。 - 内乱罪適用の可能性
戒厳令が「国家権力の排除や憲法秩序の混乱」を目的としていた場合、大統領は内乱罪に問われる可能性があります。この罪は特権により免責されるものではなく、有罪判決を受けた場合、大統領の地位を失うことになります。
国務会議での戒厳令解除
2024年12月4日午前5時3分、国務会議で戒厳令の解除が正式に決定されました。しかし、戒厳令解除までのプロセスには次のような問題がありました:
- 国務会議の遅延
戒厳令が発動されてから約6時間以内に解除されたものの、国務会議が招集されるまでの間、理由不明の遅延が発生しました。この遅延は憲法違反の可能性も指摘されています。 - 不可解な状況
国務会議に必要な出席者が「深夜のため不在だった」という説明は、緊急事態下での対応として妥当ではないとされています。
米主要メディアの反応:韓国の戒厳令発令と迅速な解除
ワシントン・ポスト(WP)
WPは「尹大統領が戒厳令を発令し、6時間で解除した。その理由とは?」という記事で以下の点を指摘しました。
- 初めは尹大統領と軍が国会の決議を受け入れるか不透明だったが、最終的に尹大統領が大衆向けの演説で戒厳令を解除すると宣言した。
- 戒厳令発令は、多くの韓国国民の怒りを引き起こし、1980年代の軍事独裁時代の苦しい記憶を呼び覚ました。
- 短期間の出来事ではあったが、活発な民主主義国家として知られる韓国に広範囲な影響を及ぼす可能性がある。
ニューヨーク・タイムズ(NYT)
NYTは「尹大統領が数時間で戒厳令を撤回」と報じ、次のように述べました。
- 戒厳令の発令に対して、数千人のデモ隊がソウルの街頭で抗議し、大統領辞任を求めた。
- この行動は、韓国がアジアにおける重要な同盟国として政治的混乱を招いただけでなく、かつての独裁政権を連想させた。
- 尹大統領の戦略は逆効果となり、夜明け前に態度を軟化させざるを得なかった。
AP通信
AP通信は次のように報道しました。
- 軍が国会を包囲し、緊迫した状況下で国会議員が軍事統治への反対票を投じるという「政治ドラマの夜」が繰り広げられた。
- その後、尹大統領は戒厳令を解除した。
CNN
CNNは、尹大統領が戒厳令を解除した背景について次のように述べました。
- 「解除は大規模で団結した反対運動に直面した結果」とし、国会での圧倒的な反対票や批判的な声、さらには与党からの非難が影響を与えた。